こんにちは、まいこです。
「ゆる・りらいふ 〜不登校とともに流れる、のんびり時間〜」にお越しくださり、ありがとうございます。
「お子さん、最近どうですか…?」
先生から届くそんな一言に、ドキッとしたことはありませんか?
我が家も、毎朝の欠席連絡に心が重くなっていた時期がありました。
担任の先生からの連絡が来るたびに、なんだか責められているような気がして、胸がざわついてしまう。
だけどある時、ふと気づいたんです。
「これって、私が責められているわけじゃないのかも」って。
毎朝の欠席連絡がしんどい理由
不登校になった子どもを抱えるママにとって、学校への連絡がつらく感じられるのには、いくつか理由があると思います。
- 「また休むんですね」「ちゃんと来させてくださいね」なんて、思われていそうで苦しい
- 毎回、何をどう書けばいいのか分からず悩んでしまう
- 状況は何も変わっていないのに、連絡だけ求められる違和感
- 「サボってる」と思われている気がして、言い訳っぽくなってしまう文面に自己嫌悪
そもそも、子どもが学校に行けていないだけでもう、親としては十分に心が疲れているのに、その上で毎朝こうしたストレスにさらされる。
しんどくなって当たり前だと思います。
担任からの連絡もプレッシャーに…
担任の先生から定期的に来る「近況どうですか?」「登校の見通しはありますか?」という連絡も、正直つらい時があります。
「見通しがあるなら、とっくに動いてるってば!」と、叫びたくなる日もありました。
家では元気に過ごしていても、それをそのまま伝えると「じゃあ登校できるんじゃない?」と思われそうで、つい曖昧にごまかしたくなる。
けれど、それすらもうまく説明できなくて、返事をしないでいると今度は罪悪感に苦しむ…。
学校に行っていない子どもの状況を、短い電話やメールで正しく伝えるのは、本当に難しいことです。
「申し訳なさ」の正体
私たち親が学校に欠席を伝えるとき、なぜこんなにも申し訳なさを感じるのでしょう?
- 「学校に行くのが当たり前」という思い込み
- 「迷惑をかけている」という感覚
- 「ちゃんとしてない親」と見られたくない不安
でも本当は、子どもが“休む必要がある”ときに休ませるのは、当たり前のケアなんですよね。
それは「わがまま」ではないし、「甘え」でもない。
ましてや、「母親失格」なんてことは絶対にない。
無理をさせて大きな傷になるより、早めに気づいて休ませているあなたは、むしろ「ちゃんとしている」お母さんだと私は思います。
先生側にも“事情”があるらしい
ある現役の先生が、SNSでこんなことを話していました。
「連絡がないと、虐待やネグレクト、最悪の場合は事件性を疑わなければならないんです」
「“無事かどうか”を確認できないのが、一番怖い」
つまり、学校側の連絡には、「責める」意図ではなく、安否確認という役割もあるんですよね。
「無事でいてくれてよかった」と思ってくれている可能性だってある。
そう考えられるようになってから、私は少しだけ、先生からの連絡に対する警戒心が和らぎました。
我が家の“連絡スタイル”
わが家では、本格的に不登校が始まった最初の2〜3週間は、毎朝連絡をしていました。
でも、その作業自体が私の心の負担になってしまって…。
ある日、「行ける時にこちらから連絡します」と、思い切って伝えました。
今では、2週に1回くらいのペースで、家庭やフリースクールでの様子をざっくり報告しています。
特にかしこまった内容ではなく、
「こんなふうに過ごしています」
「こんなことに興味を持ち始めました」
そんな等身大の近況を伝えています。
元気そうな様子を伝えると、先生も嬉しそうにしてくださるので、こちらもホッとします。
気持ちに余裕が出てきた今は、先生も学校も、「我が子のサポーター」だと思えるようになってきました。
おわりに:ママたちに伝えたいこと
子どもの浮き沈みの激しい心の状態を、毎日近くで見守っているあなた。
それだけで、もう十分すぎるほど頑張っています。
先生からの連絡がつらく感じるのは、あなたが子どもに真剣に向き合っている証拠。
そして、その連絡は「責め」ではなく、「無事でいてくれてありがとう」という気持ちが含まれているのかもしれません。
どうか、過剰な申し訳なさを手放してほしい。
学校への連絡が、少しでも軽くなりますように。
このブログでは、小学生の息子とともに過ごす不登校の日々の中で感じたこと、調べてわかった情報、そして母親としての戸惑いや気づきを、同じように悩むママたちへ向けてゆるっと綴っています。
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